新緑

桜が葉桜になった。桜が散ると季節は一気に初夏の様子を帯びてくる。花見は寒い中で行うものと相場が決まっている。今年は桜の開化が遅かったので、入学式のときには桜がきれいだった。

初夏は一年で最も好きな季節である。芽吹いたばかりの新緑のみずみずしいみどりが青空に映えて光り輝くさまは「いとおしい」。このみどりの時期は本当に短く、あっという間もなく濃い緑に取って代わられる。この時期丹沢の林道はみずみずしさに彩られ、歩いている人までも心身ともに浄化されるような気がしてくる。

 

 

配膳ロボット

数年ぶりでファミリーレストラン(ココス)に行った。近年は行亭としてのファミリーレストランはおわりに近づいた感じがする。驚いたのは非常に省力化されていたことだ。注文はテーブルのタブレットで行い、注文された品物を運んでくるのは配膳ロボットである。配膳ロボットは客の席まで間違いなく料理を運んでくる。客が料理を取り終わると自動的に帰っていく。ニュースで知ってはいたが実際に見たのは初めてだったのでびっくりした。猫型ロボットではなかったが外見を変えるのは簡単だろう。人手不足と人件費の節約になっている。休憩も必要なくファミレスでは普及しているらしい。今後さまざまな分野で様々なロボットが取り入れられることだろう。そういえばレジも進化している。レジに人はいるが客が代金を自動レジに入れると計算し釣りが出てくる。店員が直接金に触ることはない。また、ユニクロや無印ではずいぶん前から無人レジになっている。客が品物をレジで読み取らせ、代金を支払う。スペインのカルフール(スーパー)では無人レジと有人レジがあり、無人レジでは店を出る前に店員がレシートを確認していた。日本でもイオンで見たことがあるが、スーパーの無人レジはあまり普及していない。普及しない原因は機械が高額ということらしい。スペインでもカルフール以外は有人レジだった。ずいぶん前のことだから現在ではもっと普及しているかもしれない。

スマホやらパソコンやら悪戦苦闘

スマホ、パソコン悪戦苦闘の話

1 iPadミニ

iPadミニがフリーズした。アプリを使っていたら急に動かなくなった。あちこち押したりしても全然動かない。ネットで解決策を探す。再起動は「音量ボタンの+と-を押してから電源ボタンを長押し」と書かれていたのでやってみたがピクとも動かない。結局、アップルサポートに電話する。曰く、「やり方はあっているが、音量ボタンは∔と-を続けて押す。カチカチという感じに素早く。そして電源ボタンを長押しする。重要なのは電源ボタンではなく、音量ボタンを押すスピード」とのこと。そのとおりにやったら再起動した。ネットには音量ボタンのスピードまで書かれていないもんね。

2 iPhone

iPhoneを新しくした。5年以上使っていたのでOSがアップデートしなくなったのと、メモリーが少なくなってきたので、思い切って新しいのを購入した。以前のはホームボタンがあったが、新しいのにはない。その代わりFaceIDを使う。FaceIDを設定したが全然機能しない。仕方がないのでパスコードを使っていた。iPhoneを使うたびにパスコードを要求されるので面倒でしょうがない。また、アップルサポートに電話する。FaceIDが機能しない旨を話したら、「多分、電話と顔が近すぎるからだと思う。電話を顔から離してみてください」。言われたとおりに顔と電話を離したら認証できた。

アップルエキスパート(AE):わたしもよくやるんですよ。

わたし:そうなんですか。顔写真が出てくるのかと思っていたら出てこないんですね。

AE:顔は出てきません。(笑い)

以上で解決。ユーモアのあるAEさんだった。

3 Windowsパソコン

なぜかWindowsパソコンを開く際のPINを忘れててしまってどうやっても思い出せない。それらしいのをさんざん試したがどれもこれも違うらしい。忘れた自分を呪う。Microsoftサポートを調べ、要求されたとおりに記入して送信したがらちがあかない。ネットでそれらしい記事を探してみるがピッタリのはない。あきらめて有料のサポートに電話しようかと思い、最後にもう一度ネットで検索してみて要約見つけた。そのとおりにやって無事PINを復活させた。今回は忘れてもいいようにメモっておいた。

4 アップルサポートとマイクロソフトサポート

アップルサポートは本当に親切で的確で素晴らしい。わたしのような初歩的な質問にもていねいに答えてくれる。アップルケアに入っていなくてもサポ―トがあるのはうれしい限りである。技術的な質問ではなくエキスパートからしたら簡単なことなのだが、その簡単なのができないから困っている。IT機器は故障ではないがちょっとしたことで動かなくなったり不具合がでる。こんな時にきちんと対応してくれるのはありがたい。アップルの手厚いサポートは次もアップル製品を購入しようという意欲を消費者にもたせる。

マイクロソフトには電話サポートがない。メールフォームがあるだけだ。電話サポートは人件費がかかるから、経費節減の観点から見れば正しいだろう。しかしパソコンではWindowsが圧倒的シェアを持っている。素人の質問の多くは上に書いたようなエキスパートから見たらほんとうに初歩的な質問である。そういう意味でパソコンの詳細を把握しているエキスパートは必要ない。起こりうる初歩的な質問に答えられるエキスパートがいればよいのである。世界規模でシェアを獲得しているマイクロソフトにこそ電話サポートが必要である。電話サポートがないのはおごり高ぶっていると思う。

5 おまけ

わたしのパソコンは日本のF社の製品である。確か購入してから3か月くらいは無料の電話サポートがあるのだが、その期間を過ぎると有料になる。今はもうサポートは必要ないが、たいしたことではなかったが、無料期間が過ぎて一度電話したら有料になると言われたのでやめたことがある。高いパソコンを売っておいて、有料のサポートを契約させようとするのはどうなのか。わたしは次回Windowsパソコンを購入するときは他社の製品にしようと思っている。

IT機器はアップデートするたびに機能が少しづつ変更になる。とくに日常使うスマホは不具合が起きると本当に困ってしまう。電話サポートがなくても、AIでないチャットサポートがあれば消費者は助かるだろう。

 

おかしな日本語表現「日本人トップ」

最近、「日本人トップ」というおかしな表現を、たびたびマラソン競技などで聞いたり、見たりする。いつからこのような表現が使われるようになったのか寡聞にして知らないが、何度聞いても違和感がぬぐえない。「日本人トップ」ということは優勝は日本人ではない、では誰が優勝したのか、「日本人トップ」は全体の何着だったのかと次々に疑問がわく。スポーツレースは結果がすべてであり、優勝者が称えられるべきである。特にマラソンでは外国からの招待選手も出場しており、彼らは自尊心をもって走っているのである。「日本人トップ」という表現には優勝者へのオマージュも配慮もない。ただただ日本人選手に対するえこひいきがあるだけだ。

このような表現を平気で使っているマスメディアの関係者はおかしいと思わないのだろうか。また、競技大会の主催者も違和感を抱かないのか。確かにオリンピック代表選考レースともなれば、日本人選手のタイムや何着かということはとても気になることではある。しかし、選手の着順やタイムを正確に伝えることは、参加した選手への敬意であり、応援する人々への感謝でもある。

優勝は○○選手でタイムは○○時間○○分○○秒、2着は△△選手で……、3着は◇◇選手で……であった。◇◇選手は日本人トップであったが選考記録にわずかに○○秒およばず代表になることはできなかった。

以上のように報道すれば簡潔で明白である。にもかかわらず「日本人トップ」などという、日本人だけに焦点を当てた表現は出場選手全体への侮辱である。

このような表現が使われる背景には、日本人さえ報道すればよいという内向きの論理が働いているように感じる。日本人に優勝してもらいたいのはやまやまであるが、このような報道で日本人選手もまた傷ついているのではないか。スポーツマンシップという言葉がある。競技者の正々堂々とした態度を表す言葉であるが、競技者だけでなく主催者や報道するものにも適用される言葉であろう。

現在はさまざまなニュースが一瞬のうちに世界に報道される時代である。世界の人々が?と思うような日本のニュースが流れることは、日本の独自性ではなくガラパゴス的と思われてしまう可能性がある。すべてをグローバルスタンダードに合わせよと言っているわけではない。日本を第一に考えるあまりまわりが見えなくなってしまっているように感じる。「日本人トップ」という表現はその最たるものではないだろうか。

雨が午後から雪に変わった。首都圏にしては久々の大雪となっている。立春の翌日が雪になるとは、暦は春でも季節はまだまだ寒さ本番である。

雪が降るといつも思い出すのが、三好達治の詩「雪」である。

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

たった二行の詩に多くの余韻が込められている。太郎と次郎は家の中で眠っている。暖かい布団にくるまって夢を見ているのかもしれない。外では雪が深々と降り積もり、雪明りの中で家々が白い雪に埋もれている。この詩は雪の情景だが冷たさや寒さではなく、むしろ温かさが伝わってくる。心に沁みる良い詩である。

 

陳情令 「人生は一人の知己を得れば足りる」

「陳情令」を見た。陳情令は中国の作家墨香銅臭のBLファンタジー小説『魔道祖師』を実写化したウェブドラマである。中国では2019年にドラマ化され再生回数は100億回を超えるメガヒットとなり、世界中に配信された。配信開始から5年経った現在でも、陳情令の話題には事欠かない。このドラマは原作のBL的要素を巧みに回避し、ブロマンス・ファンタジー時代劇として構成されている。主役の二人が強い絆によって結ばれ、知己となっていく物語である。主役の肖戦(シャオジャン)と王一博(ワンイーボー)はこのドラマのブレイクにより一躍中国のトップスターの座に躍りでた。

このドラマが世界中でヒットしたのは、ストーリーの面白さは言うまでもなく、出演俳優のビジュアルの美しさと素晴らしい演技、ため息の出るほど華麗な古装、抒情的な林海のテーマソングなどすべてが揃っていたからといえよう。

「えっ、あんな振袖みたいな袖の長い着物でよく闘えるなあ!袖が絡んで闘えないんじゃないか?」(笑い)と突っ込みをいれながら見ていた。

五大世家が統治している世界で、雲夢江氏で実子同然に育てられた饒舌で自由奔放、正義感の強い魏無羨(ウェイウーシェン)と、姑蘇藍氏の無口でまじめで近寄りがたい雰囲気の藍忘機(ランワンジー)。二人が互いに惹かれ合いながらも衝突し固い絆で結ばれて敵と闘う、というのがあらすじである。二人とも幼いころに両親を亡くし、魏無羨は江氏の宗主に、藍忘機は叔父に育てられた。魏無羨には彼に無償の愛を注ぐ江氏姉の江厭離が、藍忘機には彼を黙って優しく見守る兄の藍曦臣がいた。しかし、それだけでは埋めることのできない孤独と寂しさを二人は抱えていた。魏無羨は姉に甘えることによって心を落ち着かせるが、母親である蔵色散人の名前が出るたびに話を聞きたがった。藍忘機は人々から尊敬と憧憬を集めながら、感情を抑えこみ他人とかかわることを故意に避け孤高の存在となっている。そんな彼に魏無羨だけが積極的にかかわりを持とうとする。当初は無視していた藍忘機であるが、名前を本名*1で呼ばれることを許すなど、徐々に魏無羨の存在が心の内で大きくなっていく。幼いころ月に一度の母親との面会を待ちわびていた藍兄弟であったが、母親が逝ってしまったと理解した後も忘機は縁側に座って扉が開くのを待っていた。藍曦臣が「忘機には執着がある」と言うように、かつて母親に執着したごとく魏無羨に拘るようになる。

「それにしても暮渓山の洞窟で魏無羨にからかわれた藍忘機が、彼の肘に思い切り噛みつくアグレッシブな行動をするほど魏無羨に執着するとは……」

魏無羨がすべての罪を背負い絶望のあまり崖から身を投じて死亡し16年後に復活したときには、前世の彼を全面的に信じなかったことを悔やみ、今度こそ寄り添うことを決意する。そして互いにかけがえのない存在となっていく。

しかしブレイクの要は主役二人の孤独な魂の救済と、大勢に迎合する世論批判にある。魏無羨が現世に戻ったのちも、悪しざまに罵られ誰一人として彼の弁明を聞く者はいなかった。しかし、金光揺の悪の一端が明らかになるや否やあらゆることは証拠があろうがなかろうが彼の所業になる(ただし金光揺のあくどさは言うまでもないが)。そう、かつて魏無羨に向けられたのと同様に。魏無羨は世論の変わり身の早さに唖然として無常を感ずる。しかし藍忘機という生涯の友を得たことで心の平安を得る。

「人生は一人の知己を得れば足りる」。

 

*それにしても中国の俳優は何というイケメンぞろいなのか。

 

 

*1:藍湛。古代中国では、個人の名前には「姓・名・字」があり、一般的には「姓+字」で呼ぶ