おかしな日本語表現「日本人トップ」

最近、「日本人トップ」というおかしな表現を、たびたびマラソン競技などで聞いたり、見たりする。いつからこのような表現が使われるようになったのか寡聞にして知らないが、何度聞いても違和感がぬぐえない。「日本人トップ」ということは優勝は日本人ではない、では誰が優勝したのか、「日本人トップ」は全体の何着だったのかと次々に疑問がわく。スポーツレースは結果がすべてであり、優勝者が称えられるべきである。特にマラソンでは外国からの招待選手も出場しており、彼らは自尊心をもって走っているのである。「日本人トップ」という表現には優勝者へのオマージュも配慮もない。ただただ日本人選手に対するえこひいきがあるだけだ。

このような表現を平気で使っているマスメディアの関係者はおかしいと思わないのだろうか。また、競技大会の主催者も違和感を抱かないのか。確かにオリンピック代表選考レースともなれば、日本人選手のタイムや何着かということはとても気になることではある。しかし、選手の着順やタイムを正確に伝えることは、参加した選手への敬意であり、応援する人々への感謝でもある。

優勝は○○選手でタイムは○○時間○○分○○秒、2着は△△選手で……、3着は◇◇選手で……であった。◇◇選手は日本人トップであったが選考記録にわずかに○○秒およばず代表になることはできなかった。

以上のように報道すれば簡潔で明白である。にもかかわらず「日本人トップ」などという、日本人だけに焦点を当てた表現は出場選手全体への侮辱である。

このような表現が使われる背景には、日本人さえ報道すればよいという内向きの論理が働いているように感じる。日本人に優勝してもらいたいのはやまやまであるが、このような報道で日本人選手もまた傷ついているのではないか。スポーツマンシップという言葉がある。競技者の正々堂々とした態度を表す言葉であるが、競技者だけでなく主催者や報道するものにも適用される言葉であろう。

現在はさまざまなニュースが一瞬のうちに世界に報道される時代である。世界の人々が?と思うような日本のニュースが流れることは、日本の独自性ではなくガラパゴス的と思われてしまう可能性がある。すべてをグローバルスタンダードに合わせよと言っているわけではない。日本を第一に考えるあまりまわりが見えなくなってしまっているように感じる。「日本人トップ」という表現はその最たるものではないだろうか。